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  1. 小野坂貴之

勝手なもんである。

深夜、歯を磨いている。勝手なもんだ。
鬱々とした顔を鏡で見ながら歯を磨き、思いにふける。

確か、私が香川県警察官をやめて上京した数年後だったか。

実家の柴犬が三匹の子犬を産み、家族が誕生した。
母親・マルコを筆頭に、ケン・ブン太・アイコの三兄妹の家族である。

冗談だったのかどうか今はもう分からないのだが、ケンとブン太には当初、私と弟の名前である「タカユキとナオユキ」が名付けられていた。
「なんでや!」と母に問うと「躾しなおす」という衝撃の言葉が。
「ショウヘイもおるやないか?」と一番下の弟のことを聞くと、「ショウヘイは(香川の)実家におるから躾できる。お前らは東京やけん、次こそきちんと躾ける」と。

次に帰省した時、我らの名前の欠片はすでになく、「名前に格があるから」との理由で「ケンとブン太」と呼ばれていた。

紅一点の雌犬・アイコの名前の由来は、一番下の弟がお腹にいる頃、「次は女の子やけん、アイちゃんにするんじゃ」と息巻いていたところからだ、と思う。

待ち望んだ女の子ではなく、一番下にやっぱり男が生まれた。「タカユキ、ナオユキやから、次は、なにユキやろう?」と思っておったら「命名・ショウヘイ」と聞かされた時の、「え、なんで!?まさか落ち込んどるんか?」と子供心に思い悩んでしまった衝撃を、今でも鮮明に覚えている。ちなみに、ショウヘイは父がちゃんと考えて命名した、良き名でありますのでご安心を。

さて、柴犬家族の話だ。

しばらくするとケンは養子に出され、我が実家には母犬マルコにブン太とアイコの兄妹が住むこととなる。

「躾し直す」とあれほど言っておったはずなのに、ブン太とアイコは、待てもお手も習うことなく、きらきらと餌を見つめる瞳が愛らしい、自由気ままなお犬様へと成長を遂げる(無論、母マルコもするはずない)。

たまに帰省する度に、三匹を連れて近くにある長池の周りを散歩する。

母マルコと若かりしブン太
Photo:母マルコと若かりしブン太

母マルコはだんだんとボンレスハムのように美味しそうな体型となり、散歩嫌いへと変わる。夜中、両親とサッカーボールで遊ぶのが日課のようだが、わずか数分で帰ってくるほどだったので、運動がどうも嫌いのようだった。

若い頃のブン太とアイコは、散歩道のさまざまに興味津々ではあったが、毎日の決まった順路をしっかりと先導してくれる、賢い兄妹だった。

ブン太は男の柴犬らしく骨太の雄大な体躯でありながらキョトンとして殆ど吠えぬ優しさを持ち、アイコはまるで笑っているような顔つきで尻尾振り振り寄ってくる器量好し愛嬌好しだ。

ともすれば数年に一度しか帰省しない私をも変わらずに迎えてくれる、気楽で心地の良いお犬様家族であった。

二年前、母犬マルコが亡くなった。そして、先月末にアイコ、先週にブン太が逝ってしまった。アイコは十六歳を迎える直前の、ブン太は十六歳を迎えた直後の往生だった。

私はいずれも東京で報せを聞いた。ここ数年香川へは帰っていない。

帰っていない、顔を見せていない、近くにいない、という後ろめたさを感じる反面、正直に今とてつもなく寂しい。

勝手なもんだ。そう、勝手なもんなのである。勝手なもんなのだけれど、マルコとブン太とアイコに会いたいなぁ、と強く思ってしまうのである。

どうも、どうもありがとう。

アイコ
Photo:アイコは目を細めて傍にくる