注目キーワード
  1. 小野坂貴之

イケメンと大学ノートと満員電車

今年の酷暑は非常にきつい。特に朝夕の通勤時の満員電車なぞは、暑さにイライラ、人混みにイライラ。「チッ」と無意識に舌打ちしてしまうようなイライラ要素のオンパレードである。朝から眉間にシワを寄せて怒ったような顔つきが、いつもより多く見える。

それを反面教師として、「一日の始まりの朝じゃないか、己自身は落ち着いて緩やかに」と心穏やかな様を装ってみたりするのだが、スマホ片手に自律も自立もしない輩に遭遇すると、その薄い仮面は一瞬に外れて般若が現れ、「このどブスが」と口に出したりしてしまう。またある時は、乗り込む人の波の中、肘を突き出して突進するおばさんが、あろうことか私の背中にエルボーを食らわすと、思わずゲンコツで応戦しそうになったこともある(こりゃもはや、肘ババアによる暴行罪だ)。ああ、どんな時でも凛としていられる器が欲しい。

さてそんな酷暑の、先日の夕方帰りの満員電車。

赤坂見附から荻窪行きの丸ノ内線へ乗り込む。例にもれず満員電車で、乗る人並みに押され奥へ奥へと入り込む。やっと立てる場所を確保して目線を正面に戻すと、私の前に背が高く若い会社員らしき男性がいる。白いワイシャツに、やや短く刈られた黒髪の頭は小さく、だが手足は長く、八頭身くらいはあろうか。顔は見えぬので、後ろ姿イケメンである。

その後ろ姿イケメンは、左手でつり革に掴まり、すっくと立ち、右手でA4版の大学ノートを開いて一心に読んでいる。背後の私の位置からだと、その大学ノートに書かれた文字が、否が応でも目に入る。

オリジナリティに溢れた、端的にいうと汚ねぇ文字であった。後ろ姿とは反比例して、線は細くミミズが這っているよう。だがしかし、何の文字かは理解できる。

ずらずらとたくさんの言葉が書かれているが、一瞬にして目に入ったことが三つある。

「望んでいること:イケメンと呼ばれること」
「達成したこと:イケメンと思われていること」
「今後の課題:かっこいいイケメンと思われるようにはどうしたら良いか」

私の言い訳になるが、普段他人のものを盗み見することはない。そして、目に入ったとしても注視することはない。だが、私はこのとき、二度見を超えて三度見した。

その内容がチンプンカンプンなことと、「イケメンと思われていること、え、周りに思われてると自分が思ってることを達成したことに書いてええんか?確認したんか、なあ確認したんか?」という疑念がよぎったため、衝動的に三度見してしまったのだ。

確かに、後ろ姿はイケメンである。うらやましいほどの八頭身である。立ち姿も美しい。

しかし、そんなちと外れたように思える自己啓発的なことを書いちゃうのか。それをそんな凛として読んじゃうのか。大学ノートをそんなに見開いちゃって気にもならないのか。あ、でも目標に一生懸命だから気にならないし、一心不乱だからこそ後ろ姿でもハッとするほどイケメンに見えてしまうのか。薄っぺらいようでいて、実は想像もできぬほど奥が深いのではないか。

「おお」と感嘆したところで、駅についた。後ろ姿イケメンはまだ先のようで、ついに正面から捉えることはなかった。だがもう十分だ。その後ろ姿と大学ノートだけで十分なのだ。

私はもう気づかされたのだ。「そうだ、少し尖って生きていこうじゃないか」、駅の階段を上がりながらひとり思い立った次第である。