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  1. 小野坂貴之

恋の話。

つい先日、帰りの電車の中でのことだ。

やや混み合った電車の中でつり革につかまっていたところ、目の前の座席が空いたので座ることにした。リュックを前に抱えて着席しゆっくりと目の前を見て思考が止まった。

垢抜けない二十代中盤くらいの男女、おそらく恋人同士であろう。男性側のスマートフォンを女性が左隣から覗き込んでいる。いや、ただ覗きこんでいるのではない。尋常ではないほど斜めになって、男性の肩口からのしかかっているのだ。そしてあろうことか、か細い男性に比べ、女性は倍ほどの豊満バディの持ち主であった。

そうだな、うむ。イメージに最も近いのは、小さい方が大きい方の背中に乗って日向ぼっこする亀の、逆バージョンだ。小さい方が乗れば、和やかな雰囲気に包まれるが、逆だとなにやら罰ゲームのような違和感が湧いてきて居たたまれない。

会話を交わすわけでなく、ひとつのスマートフォンを覗き込んだ二人の顔は真顔である。また、周囲の自然な動きに比べ、二人は微動だにしないので、その空間だけが静止して見える。空間の歪みを感ずるほどに。

だがふとこうも思う。「お互い、最初で最後の恋、と思えるほどの相手なのかもしれぬ」と。

周りの目など気にならぬ。恥も外聞も気にしない。相手のことを百パーセント見ることができ、百パーセント見られることができる。そう考えると、なんだかうらやましくもある。

「最初で最後の恋」、その言葉に思い浮かぶ人がいる。

私の高専時代の同級生に、トザワさんという女子がいた。当時の高専は学生のほとんどが男子であり、トザワさんは数少ない女子のひとりであった。そして高専は、留年しない限り五年間を同じクラスで過ごすのだ。

当時の高専の女子、特に私のクラスは、希少価値の高い女子を武器にして「オンナ」として目覚めていくか、もしくは身なりなど一向に構わずに学生として勉学に励むか、二つにひとつであった。(一応当時は、県内二番手校に位置するほどには、頭の良い同級生が集まっていた)

トザワさんは圧倒的に後者で、頭が良かった。ただ、風貌は「北斗神拳の使い手・ケンシロウ」にそっくりな上、腕の毛が我々男子よりも少し濃かったので、本人への愛着を込めて「ケザワさん」とか「オバちゃん」とか呼んでいた。(今考えると、なんて酷いんだ)

そういえば、前者に傾倒して何を勘違いしたのか「今日から私、恋の実と書いて恋実なの。コイミちゃんと呼んで!」とのたまう同級生もいたが、それを締めてしまったのは遠い昔の、また別のお話。

トザワさんはガサツな男子軍団に交じって遊びにも参加した。ボウリングのときなぞ、横殴りなフォームを駆使して球を次々と投げピンをふっとばすのが印象的な、物静かだが快活な人であった。

最終学年を迎えたとき、トザワさんに恋人ができた。人生最初の恋人である。恋人は我々の同級生のマキ君であった。マキ君は獅子舞の獅子にちょっと似た、ただトザワさんに負けず劣らず物静かで頭の良い、ズボンのポケットに手を入れながらすらっと立ってロボット制作を眺めているのが絵になる好人物だ。

卒業研究も忙しい最中、昼ともなると、ママチャリを並走して校外へ飛び出し、量り売りの弁当を二人で選んで買い、また並走して帰ってきて、一緒に食べる。

その仲睦まじきを見て我々は、「最初で最後の恋かもしれん」と余計なことを思いながら見守っていたものである。

さて。最近「恋って良いものだったのだな」と思うことがある。

何のことはない。単純ではあるが漫画である。スマートフォンで読める「関根くんの恋」という漫画である。

主人公・関根くんはイケメンな上に「これでもか」という程何でもできて「モテすぎる男」なのだが、それに気づかぬほどひどく鈍感で、いざ一途になる相手が現れると自信を無くしてどれが正解か見出せず、モヤモヤモヤモヤとさせる展開に、読者は「そこだいけ、あー」「それそこだ、うーん」と繰り返しヤキモキしながら見れるのだ。

誰が言ったのか、「人を変にするから、恋と書く」とはよく言ったものだ。

私自身、恋の経験はそれほど多くはない、と思う。一目惚れ、は物にはあっても人にはない。そして、恋は幾分苦手である。

自信を無くして空回りばかりした出来事ばかりが刻まれている。ずいぶんと前のことなのに、喉の奥の苦味のようなものと共に、いくつか思い出してみる。

ひとつ。二十歳過ぎて出会った相手との最初のデートの時、何を話して良いのか分からずひたすら黙って食い続け、帰宅して胃もたれと共に反省したこと。

ふたつ。ようやく一夜を共にできた相手と朝マックで朝食中に、今度は一時間喋り続けて、それを見かけた相手の友人に「不審者と話してたの?」と聞かれたようで、撃沈。

みっつ。会いたくて会いたくてメールしても返信が来ず、深夜にバイクに乗って二時間の道のりを相手のアパートの近くへ向かい、部屋の明かりを見上げ、また二時間の道のりを戻っていく、を繰り返し、気味の悪いほどの心ののめり込みように「重い」と、轟沈。

ああ、もう嫌だ。思い出した最後のみっつ目なんて、まるでストーカーじゃないか。恋で変になるにも程があろう。

さておき。

長くなったが、ここ数日間で出会い、あるいは思い耽った出来事について何を書き残しておきたかったかというと、「やっぱり恋って良いよな」ということだ。

自信の無さやコンプレックスという壁にぶち当たりながらも、恥も外聞も気にすることなく純粋に完璧に一人の人間を見つめることができる。

少ない数ではあるけれど、経験したその傷痕というか記憶というものを、せめて己くらいは時折見返して大切にしておかねば、と思ったのだ。