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  1. 小野坂貴之

信じるものは救われるのか。

ごくごくたまにではあるがでも突然、「これから何を信じて、どんなところへと私は歩いていくんだろう」と考えることがある。

ほんのひと時ではあるが、足音を立てずに不意にやってくるのだ。

それは昼間の仕事で分析に没頭しているときに、それは海外ドラマを見ながらエクササイズの最中に、それは晩飯を口の中に頬張っている最中に。

「まあなんとかなるやケセラセラ」と、なんともなってはいない結果へと落ち着くのだけれども、その、ふと訪れる小さな不安というか、颯爽とよぎる影のようなものは、決して消えないけども忘れてしまう小さな痕跡を私の心身に残していく。

さて、そんな痕跡がいっぱいついている私にとって、よく分からない言葉がある。「信じるものは救われる」という言葉だ。冗談のオチに使うならばまだしも、それこそ懸命に何かを信じて本気で言っているようであれば、「しっかりしろ」と頭はたいてやりたくなるのだ。

そうなのだ。この件には理由がある。私にとって、痺れるほど悲しい過去の事件だ。「信じるものとて救われない」。

私が生まれ育った香川県高松市には、大きなアーケード商店街がある。どのくらい大きいかというと、全部合算すると約三キロメートルにも及ぶ日本一の長さを誇る。それこそそこは、私たちにとっての原宿であり、新宿であり、銀座であって、さらにアーケードであるから雨の日も濡れなくて安心、なのである。

中学生の頃、私たちはそのアーケード商店街を憧れを込めて「街(まち)」と呼んでいた。「街いこう」と連れ立って向かうときは、少しだけオシャレをして向かう場所だったのだから。
(上京した際、「東京の街はどこだ、屋根がない」というと「アーケードは田舎の象徴」と冷淡に言われ苦笑されたけども)

事件が起こったその時、私は中学二年生で、春休みの午前中に部活を終え、午後からバレー部の友人と「街」へと向かう約束をしていた。一度家に戻り昼飯を食べ、タートルネックに茶色のチョッキを着て、その日の予算である五百円硬貨を握りしめる。そして友人と合流して意気揚々と「街」へと繰り出した。
(ジーンズは持っていないのでスラックスだったような。当時、ジーンズは大人かヤンキーの履くものだと思っていた。まだ僕には早いって。)

「街」の入り口に着いて散策しようとしたそのとき、背後から声を掛けられる。振り返ると、橙色の袈裟を纏った、眉間に何かの印の入ったスキンヘッドのおっさんがいた。そうだな。印象は「チベット密教の坊さん」である。

今ならものすごい勢いで言い返す自信があるが、振り返った中二の私の顔をみた坊さんは、こう話を切り出した。

「浪人生?」

なんでや。いや確かに授業中に教師にネタにされる老け顔ではあったが、浪人生ってなんやねん。高校生とかならまだ分かるけど、そんなに不幸背負って疲れた顔しとるんかい。

「中学二年生ですけど」。私がただこう返すと、そんなの構わず坊さんは話を続ける。詳しくは覚えていないのだが、要約するとどうも「ありがたい宗教のありがたい説法を一般人でもわかるようにまとめた小冊子を、人の集まるこの『街』で配っている」とのことだった。

早く友人と合流して街をうろつきたい私は、坊さんの差し出したその小冊子をうっかり手にしてしまう。

「お浄財を」と坊さんが言う。浄財が何か分からず聞くと「お布施を」と説明される。

げ、と思ったが今更小冊子を返す勇気もなく、手には握りしめた五百円硬貨のみ。本日これっきりの予算である。

「五百円硬貨しかない」というと「お釣りがある」と一言。それを信じて「じゃあ百円で」と渡したが運の尽き。坊さんはにっこり笑って向きを変え、あっという間に立ち去ってしまった。後に残ったのは、あんぐりと口をあけて呆然とする中二の私と小冊子。

一歩離れて悲しそうに私を見つめる友人にハッとして、手の中に残された小冊子を見ると、中二から五百円硬貨を奪い去った悪徳坊主の薄汚ねぇ根性のかたまりに思えてきて、叫びながらビリビリに破り捨てた覚えがある。

あれが本当にお坊さんだったのかは今となっては分からないが、おかげで、以来無宗教一筋である。そして「信じるものとて救われない」を信じている。

だから冒頭のように、今の自分の居場所と未来を考えて、ふと、ほんとにふと不安に陥ってしまう、のかもしれない。

(数年後、うっかりそれを忘れ「エセ青年海外協力隊」の言葉を信じて騙されたことがあるが、それはまた別のお話)